小説 多田先生反省記

 3.シロウオ料理


四月も幾日か過ぎると大学では海からそよぐ潮風が松の枝に触れる風情はもうなくなっている。入学式の朝、私はあつらえたばかりの背広を着こんで下宿を後にした。婆さんが玄関まで出てきて三つ指をついて送り出してくれた。九州に残された古風な仕草がこのときだけ発揮されたのである。先だって中洲で酒を呑んで帰ってきた晩は大層厳しい口調でたしなめられた。

「シェンシェイ、もう中洲さ行ってきんしゃたとですな?」呆れたような、どことなく落ち着きのない表情を向けながら婆さんはそう云った。

「いや、なかなか賑やかな所ですね。いろんなお店があって楽しい所でした。お酒もおいしいですけど、さすがに福岡の魚は絶品ですね」

「魚はヨカばってん・・・」

 何がヨカばってんなのかどうかわからないが、婆さんは上目遣いに私をちらちらと見ている。

「いや、本当においしかったです。安いし・・・」

「ばってん、シェンシェイ、あんまり中洲なんと行かっしゃれん方が・・・」

「えっ、なんでですか?」

「シェンシェイ、そげん・・・」婆さん慌てて湯飲みを口にあてたたまま顔を伏せるようにしたのだが、目だけはしっかり私を捉えて離さない。

「あそこあたりは、あーた、昔ユーカクのあったとこですけん」

「ユーカクッ?」今度は私が湯飲みを口に当てた。顔の表情がくずれそうだった。私は丸善で買い求めた洋書をそれとなく拡げてその場をとりつくろって部屋に戻ったが、その晩なかなか寝つけなかったのは襖越しに聞こえてくる婆さんの歯ぎしりと鼾のせいばかりではなかったようだった。

 講堂の入り口には新入生や和服姿の母親達が緊張した面持ちでたむろしている。私の顔はまだ職員の間には印象が薄いようで、すんでのところで新入生の席に通されそうな一幕もあったが、先日の甘木が駆け寄ってきてくれたのでなんとか教職員の席についた。式典のあと研究室でぽつんと外を眺めていた。春だというのに冷たい風が鉛色のどんよりした湾に小さな浪をつくっている。

 机の電話が鳴り響いた。平尾が学部長室からかけてきたのだった。別棟の学部長室に平尾を訪ねると中川のほかに小柄な体つきの頭のはげ上がった初老の紳士がいた。

「多田さん、こちら古賀先生です。一昨年、わたしがむりやりお願いして、大阪からきていただいた先生です」

「古賀です。初めまして。どうぞよろしく」

 齢は平尾よりも若干若いようだ。好々爺という風に丁寧な応対をしてくれる。

「多田でございます。なにぶんにも未熟者ですのでよろしくお願いします」

 ドイツ語の教師は全部で四人である。平尾はさりげなく中川をはじめ古賀をも城南学院大学に迎えたことを改めて誇示したかったようだ。

「多田さん、福岡の街はいくらかご覧になりましたか?折角きていただいてのですから大学が始まる前に近郊にお連れしようと思っていたんですけど、何しろ校務が多くて」  

平尾はそう言いながら未決済の書類を手にして部長印を一つ押した。

「この役職も来年こそご放免願わないと。もう体がもちませんよ。ところで、福岡は東京と違って田舎ですから何かとご不自由でしょう」

「いえ、実はもっとこじんまりとした所かと思っていましたが、大きいし賑やかで楽しそうな街だなあという印象です。先日、丸善に行ってきました」中洲に立ち寄ったことは口に出さなかった。「ただ、ちょっと寒く感じて驚いています。」

「ええ、そうですよ、あたくしも大阪から来た時には思いのほか寒いのには驚きました。南の国といってもここは日本海側ですからね」

「まあ、それもあとしばらくです。まもなく暑くなりますよ。ところで、今日みなさんにおいで願ったのではですね、多田さんの歓迎会の件です。いずれ文学部全体で開きますが、私たち三人で多田さんに遠路はるばる来ていただいた感謝の意を表す機会をもたなくてはいけませんので。今、中川さんと古賀さんのご都合を伺っていたところです。多田さんは・・・?」

「いや畏れ入ります。でも、そのようなお気遣いは・・・」

「そうはいきません。ねえ、中川さん。あなたの大切なお弟子さんですし、私が中川さんにお願いして学修院からお呼びしたのですから・・・」中川はかしこまりながらメガネの奥の目を細めている。

 春の日が幾日か過ぎ、桜もすっかり葉だけを寂しく残す頃の夕暮れ時、私はぶらぶらと出かけていった。歓迎会の席は西新から西に二キロほど離れた室見川沿いに設けられた。室見川は福岡と佐賀を隔てる背振山を源とし、その朗々たる水を博多湾にそそいでいる。私は室見川にかかる橋の中ほどで足をとめた。下流の海辺よりに大きな二軒の料亭が川を眺めるように並んでいる。澄んだ川のせせらぎを堰き止めるように葭簀(よしず)が川の中に幾重にも立っている。その横にかなり賑やかに幟のたなびく造りがある。春爛漫の一月ほど建っているだけで時節が過ぎるとまた次の春までうたかたの夢のごとく人の目に触れることはないらしい。私の行く先は国道をはさんだ上流の河原に建っているその掘っ建て小屋だった。おもむく先は納屋やら掘っ建て小屋でいかにも貧相である。

 ほかの三人はすでに席についていた。さっそく猪口と突出しがお膳を飾った。平尾も杯を押し頂いて形だけの乾杯をした。

「多田さん、私はこの通りですが、中川さんはめっぽうお強い方ですし、あなたもその口でしょう。どうぞ、私にお気遣いなさらないで召し上がってください。さあ、古賀さんも中川さんもどうぞ」

 三人のあいだで忙しく献酬が始まった。突出しは醤油で甘辛く煮上げたシロウオ。湯通ししたシロウオに玉子の白身を寄せたもの。その隣には柚子をちらしたシロウオである。細長い皿に彩りよくこじんまりと載っていて、見た目にも楽しい。

「ここは先日もお話しましたように、あと半月もすれば取り払われるんですよ。このシロウオも来年まで食べられません。私は博多に来て随分になりますが、春になって、このシロウオをいただくのが楽しみでしてね」平尾が云った。

 しばらくすると新しいお銚子と一緒に水盤を少しばかり深くしたような大振りの器がお膳の真ん中に据えられた。たっぷりと水を張ったその中にメダカのような魚が泳ぎ回っている。体は細長く、淡い黄味があり、細い骨が透けてみえる。下の方には赤い斑点がポツンとついている。シロウオを間近に見せようと粋なはからいのように思えた。

「これこそシロウオ料理の真髄です。さあ、いただきましょう!」

 平尾のその言葉で三人は手元の小鉢を箸でかき回しだした。器の中の魚は鑑賞用ではないらしい。仲居さんが小さな網で数匹掬いだして小鉢に入れると、それぞれ鉢を片手で覆っている。中川の指のすき間から勢いよく一匹が飛び出した。中川は慌てて片方の手をのばしてつかまえようとするが、一方の手の方も気がかりでつかめない。仲居さんはあっけにとられて、見ほうけている私の小鉢をカシャカシャとかき回してシロウオを中に入れた。私も慌てて小鉢を押さえた。手の中にシロウオが勢いよくあたってくすぐったい。ひとしきり飛び跳ねて疲れが回った頃合いを見計らって一気に呑み込むのがコツである。私はそのコツが呑み込めない。シロウオが口の中で泳いでいるようだ。丸薬でも飲むように頭を後ろに振ってみたが駄目だ。吐き出すわけにもいかず、口をもぐもぐさせたら歯に触れるものがあった。かちりという音がしたような気がした。中川も時折むせながらシロウオに取り組んでいる。シロウオそのものにはもちろん味はない。二杯酢にうずらの玉子を落として、そこにシロウオを入れて啜るのである。博多ッ子は春の風物詩めいた気分でこのシロウオの躍り食いを楽しむそうだ。

「いかがですか、多田先生」古賀が笑顔を向けてそう訊いた。

「どうにも荒っぽいといいましょうか。でもなかなか粋な食べ方ですね」

「最近は昔と比べるとシロウオが昇ってくるのも少なくなったと聞いておりますが、いかがなものなのでしょう?」シロウオに取り組んでいた中川が箸をおろして平尾に話を向けた。

「そうですね。おそらくこの店もあと数年したら、こうして店を構えることもなくなるでしょうね。二十年近くシロウオで春を迎えてきたような私には淋しい限りです」

「そげなごたあですね。わたしら、ようと知らんばってん、ほんなこつ少のうなった言いますもん」誰もが箸を置いたので暇になった仲居さんが話しに加わった。「第一、水が汚れてきましたもん。細か石がのうてはシロウオはのぼってこん、云いますばってん、この辺りの石もずいぶん泥ば、かぶりよりましたもん」

「そうですね、あたくしが大阪から来た時と比べても室見川はずいぶん汚れてきました」

 シロウオは一月から五月頃にかけて産卵のために海から河口にのぼってくる。この河口の下が産卵の場だ。背振山の雪解けの冷たい水が産卵に適している。冷たい水でなければいけない。シロウオであって、白魚ではない。当て字ではあろうが素魚と書く。東京の方で食べるシラス干しは白魚である。白魚はハゼ科で、素魚はスズキ科の魚でいくらか小さめである。さすがに仲居さんは良くご存知である。

 室見川のせせらぎがすっかり夕闇につつまれた頃シロウオ談義に一区切りがついたが、料理の方はなおも続いた。酢の物、かき揚げ、卵とじそして最後の吸い物にいたるまでシロウオづくしであった。途中で箸休めに沢ガニが出された。ほどよく醤油を効かしてカラリとしたその味はほっと息をつかせるものがあった。心地よい酔心を迎えたあたりで歓迎のお膳もお開きとなった。古賀は歓迎の杯を幾分多めに傾けたようだ。いささか足許がたよりない。多田にもたれ掛かりそうになっては気を取り直すのだが、すぐにまたフニャフニャと歩いている。ろれつの方も粘っこくなってきている。中川は始まりの時と変わった風情はない。洗濯板でも背負っているみたいに背をピンと伸ばして平尾に足の運びを合わせている。水面から昇る川風が川縁の土手を揺れて歩く私と古賀のほてった頬を掠めていった。市電が電灯をともしながら橋の上をゴトゴトと走ってゆく。客が一人、わくに肘をのせてぼんやりとこちらに顔を向けていた。

 


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